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2006年 03月 18日
今日は Excite スポーツニュースより、<パラリンピック>大回転の女子座位、大日方が金メダル(=毎日新聞)というニュースを取り上げます。
記事によると、
トリノ冬季パラリンピックは17日、 当地で行われたアルペンスキー大回転の女子座位で、 大日方(おびなた)邦子(33)=東京=が金メダルに輝いた。 男子座位の森井大輝(25)=東京=も銀メダルを獲得し、 日本の今大会のメダルは8個となって、 94年リレハンメル大会の6個を上回り、98年長野に次ぐ好成績となった。 大日方は滑降、スーパー大回転の銀に続き今大会3個目のメダルで、 金は98年長野大会の滑降以来。 4大会連続出場中で、通算メダル数は8個(金2、銀3、銅3)となり、 自身の日本最多記録を伸ばした。 女子座位で、46歳の女子日本選手最年長の青木辰子(長野)も6位に入った。 ノルディックスキーの距離女子リレーで日本は5位、男子は10位だった。 アイススレッジホッケーの日本は5、6位決定戦でスウェーデンと対戦。 ◇大日方「攻め」の気持ちで「金」 一度は目を疑った。「思うようなラインも取れなかったし、ミスもした」。 しかし、見直してみると電光掲示板の表示は1位。 勝利を確信すると、右手を何度も挙げてスタンドの歓声に応えた。 前日にはかぜで寝込んでいた。 だが、1回目でトップタイムをたたき出したが、 3位には滑降、スーパー大回転で優勝の米国選手がつけていた。 「攻めるしかない」。守りの気持ちに入らなかったことが、 滑降では転倒しながらも跳ね起きて優勝をさらわれた この米国選手を振り切ることにつながった。 出発前に日本で開かれた結団式。大会に向け、健闘を誓った後 「真のバリアフリーな社会の実現のためにも頑張ります」と宣言した。 自身のホームページでバリアフリー論も展開。 競技を通じて障害者への関心を高めることに意欲的だ。 大会中も組織委員会を通じて日本の障害者スポーツの 現状を海外メディアに訴えた。 自身も毎年遠征などに300~400万円の 自費負担を強いられているのが現状。 障害者スポーツにスポンサーのつく欧米との違いを海外にも発信した。 障害者スポーツの顔だけでなく、 競技を通じて障害者への理解の向上にも挑む大日方。 そのためには勝つしかなかった。 目標は「表彰台の真ん中に2度以上立つこと」。 最終戦の回転も、狙うは金メダルだ。【飯山太郎】 ◇46歳の青木…「初めてのメダルほしい」 アルペンスキー大回転の女子座位に出場した青木は日本女子最年長の46歳。 88年インスブルック大会以来、4度目の出場となる。 大けがを乗り越え、98年長野大会では銀メダルを獲得したベテランだ。 長野県上田市出身で、中学、高校では器械体操の選手。 18歳の時に右ひざを痛めて手術をし、右脚にまひが残った。 90年に世界選手権を目指して練習を積んでいたところ、 今度は転倒してせきついを損傷した。 1年間の入院生活を強いられ、下半身の自由を失った。 障害を抱えた体にさらに重い障害を与える形となったスキー。 一度はやめようと思い、用具を捨てた。 だが「スキーでけがした人はスキーに戻りたくなるんですね」。 93年にチェアスキーを始め、座位で初出場の長野大会は滑降で2位となった。 今大会中、第3日の滑降の練習で米国選手と衝突して 脳震とうを起こすアクシデントに見舞われた。 滑降は途中コースアウトに終わり「ゴールが遠いです」と悔しさをにじませた。 2日後のスーパー大回転は5位とまずますだった。 「初めてメダルがほしいと思った」と臨んだ今大会。 この日の大回転に夢をかけて挑んだ。【飯山太郎】 ○…2度目の出場で初のメダルを獲得した森井は 「最高の滑りができた」と満足顔。 1回目は全体の2位、2回目は3位と手堅くまとめた。 97年6月に交通事故で下半身の自由を失い、 98年長野大会の大日方の姿を見てチェアスキーを始めた25歳。 これまでスキーのため、事故で給付された生命保険やアルバイト代など 「家が1、2件建つくらい」のお金をつぎ込んで来た。 経済的な面からもトリノを「総決算」と位置づけていた。 「スキーしかしていなかったので、今度は他のこともやります」 と晴れやかな表情で話した。 地元の人からの支援が大きな力になったといいます。 ならば、オリンピック以上の活躍を見せている パラリンピック出場選手にスポンサーがつくよう、 メディアはもっと彼らの戦いぶりを取り上げてほしいと思います。 WBCもいいけどパラリンピックもね♪ (© ク○レカレー)
by tklo3
| 2006-03-18 11:57
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