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2006年 02月 08日
今日は Excite Bit コネタより新しい公衆トイレの形は「立ちションの木」!?
というニュースを取り上げます。 記事によると、
プロダクトデザインを専攻するドイツの学生が発表した 「ピーピー(赤ちゃん語でおしっこのシーシー)プロジェクト」。 「お題」として出されたのは、「家以外の場で尿意を催したら、 どのように対処するか?」のみで、あとは学生が自由に、 自分の状況説明を定義しながら作っていったものだ。 入賞作品のひとつ「立ちションの木」を作ったヘレンクネットさんに、 こんなことを考えつくのなら、 彼自身も立ちション派なのだろう、と話を聞いてみることにした。 「私自身はしないわよ。もししたら、とても見苦しいものになるはず。 だって私ガールなのよ。でもね、男性がするのは気にならない。 匂いだけは嫌だけど」なんと女性だった……。 名前だけだと性別もわからないものだ。 「特に飲み屋やクラブのトイレは、狭くて暗くて汚く臭いでしょ。 だから行きたくなくなるのかな、 街角で用をたしてしまう男性が多いじゃない。 野生動物上的なテリトリー確保の感覚で 木を探し排泄をしているのだとしたら、 その木を公衆に持ってきてしまえばいいんじゃ?と思い立ったの。 この木は2メートル40センチあるんだけど、 明るい真っ白な陶磁器にしたのは、緊急を要することが多いから 遠くからでも見えて強いシグナルを送れるように」と語ってくれた。 また、悪臭を防ぐために、尿はまっすぐ流れ行くべき場所、 下水道へと流れる仕組みになっているという。 都会の街角の朝、匂い立つのはコーヒーの良い香りではなく尿の匂い、 それが我慢ならず出来上がったのが「立ちションの木」なのだ。 今現在、どの街や市も購入には至ってはいないが 「スペシャルなトイレになるはず。大量生産ではなく、 限定販売できればいいな」と彼女は意欲を燃やしている。 このプロジェクトの最終目的は、「通りや街、市に 清潔な公衆トイレを広げて行こう」というものだが、 日本なら立ちションの電信柱バージョンが欲しいかもしれない。 世界の繁華街でこの木を見る日はやってくるのだろうか。 真っ昼間から目のやり場に困るようでは問題なので、 時間限定で地下から出てくるというシステムなら大歓迎だ。 男性諸君、街角にこの木は必要ですか? (シカゴ/あらた) 理想は用を足す前に小便器の中に雪が詰めてあること(!)だと私は思います。 飲み屋とかでときどき氷を詰めてある店がありますがアレみたいなもんです。 用を足す人が氷を小便で溶かそうとするためOB率が激減するというのですが、 それは雪でも同じこと。飛沫が飛ばないようにするには雪の方が好適と思います。 問題は便器に詰めるための雪を誰が提供し続けるのかということですが、 雪国ならば除雪した雪を公衆便所に詰めておいて、 小便器に雪がなくなったことをセンサが感知するごとに自動供給! 雪が降らないところでは人工雪[1]で。 #なお、人工雪に関連して当初[1']を紹介していましたが、 これは雪の結晶の成長過程を知るためのものです。 私の無知によるもので、平松氏の研究成果を侮辱する意図はありませんでした。 訂正させていただくとともに、謹んでお詫び申し上げます。 なお、トイレのことを雪隠(せっちん)と言い、 将棋には雪隠詰め(王将を盤端で詰ます)という言葉もあるのですが、 これらは小便器に雪を詰めるということとは無関係[2]です。 関連サイト: ※いずれも愚説を唱えるためだけに引くには勿体ないようなサイトです [1]人工雪・イベントで雪を 人工降雪機スノーマシンのSNO-LA #季節を問わず粒子の細かい雪を安定供給。 角氷と発電機だけあればO.K.で、大規模用途への実績も十分です。 このクオリティの高さならば公衆便所の消臭問題を解決する切り札となり得ます。 [1']ペットボトルで人工雪を発生させる装置を考案した平松和彦さん #旭川西高校の教諭をされている平松和彦氏による人工雪発生装置。 素人でも気軽につくれる点で画期的と専門家も絶賛しています。 [2]古墳のある街並みから #森本行洋氏のサイトです。今回の記事では「排泄にまつわるお話」の コーナーの中の下記の記述を参考にさせていただきました:
現在では殆ど死語になっているが、 トイレの別称に「せっちん」という言い方がある。 「せっちん」については、数多いトイレの別称のなかでも 比較的由来が明らかになっているほうであるとされているが、 それでも幾つかの説がある。 ( 中 略 ) (5) トイレの別名として「西浄」というのがある。 これの読み方には「せいじょう」、「せいじん」、「せいちん」などあるが、 「せいちん」がなまって「せっちん」になった。 ( 中 略 ) それにしても「雪隠」という字面は何となくトイレを連想させるのである。 どうみてもうまく出来過ぎている感じがする。 『禅寺のトイレ:なぜ「東司」、「西浄」か』 一般の家庭では使われていないが、 禅寺ではトイレのことを「東司」ということが多いようであり、 時として、「西浄」という言い方もあるようである。 ( 中 略 ) 別ページ(「トイレは文化財か?・・東福寺の東司・・」)でも述べたように、 寺のトイレは僧侶の精神修行の場であったと考えられる。 ( 中 略 ) 修行により、人間界から西方十万億の仏土を隔ててある極楽浄土、 即ち「西方浄土」に行けることを目指したのである。 この修行の場を「西浄」と言ったのはごく自然であろう。 読み終えるまでにたっぷり一週間はかかる充実したサイトです。
by tklo3
| 2006-02-08 09:04
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