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2006年 03月 26日
今日は Excite スポーツニュースより<センバツ>日本文理、待ちに待った新潟県勢の初勝利(=毎日新聞)というニュースを取り上げます。
記事によると、
日本文理の応援団は歓喜と涙に包まれた。 第78回センバツ第4日の26日。7度目の挑戦で、 待ちに待った新潟県勢のセンバツ初勝利がかなった。 【松本春香、平川哲也、野田武】 「県民みんなの無念を晴らしてくれた」。 バックネット裏から観戦した日本文理野球部顧問で、 76年の第48回センバツに糸魚川商工の遊撃手として出場した 高橋守さん(47)は勝利の瞬間、うっすらと涙をにじませた。 その大会1回戦の鉾田一(茨城)戦は相手を2安打の1失点に抑えながら、 戸田秀明投手にノーヒット・ノーランを喫した。 86年、日本文理の野球部長に就任。 01年に顧問に就いてからは、進路指導などでチームを支えてきた。 試合後、勝利の校歌に酔いしれながら 「新しいページを一つでも増やしていきたい」と、 選手たちの元に駆けて行った。 決勝打を打った長谷川徹主将(3年)は「うれしいの一言です」。 新潟県勢の未勝利は意識せず、 この日は「とにかく思い切りやろう」と呼びかけた。 冬は雪でグラウンドが使えないが「ハンディとは思いたくない。 スタミナ不足を補うため、みっちり走り込んだ成果が出た」と喜んだ。 選手たちを率いた大井道夫監督(64)は宇都宮工(栃木)OBで、 1959年夏の準優勝投手。「いろんな人から『ぜひ県勢1勝を』と、 ずっと言われていた」と感激の面持ちだった。 創部3年目の日本文理の監督に就任した86年、 1ダースのボールもなく、バッティング練習では ボールが外野まで飛ばない選手もいた。 自費でボールを買い、選手の父親に 打撃練習の投手をしてもらったこともある。 時には選手に厳しい言葉もぶつけた。 「なんとか戦えるチームに」との一心だった。 2年間の約束で来た新潟暮らしは、20年を超えた。 「選手もプレッシャーが大きかったと思うが、期待以上の試合。 褒めてあげたい」とねぎらった。 アルプス席で歴史的瞬間を見届けた新潟県高野連の岡村清理事長は 「この1勝が県の野球のレベルアップにつながり、他のチームの目標にもなる。 選手たちに『ありがとう』と言いたい」と語った。 高校野球における三大悲願(←私の単なるでっちあげ)だった 新潟県勢のセンバツ初勝利がようやく達成されました。ヤンヤ、ヤンヤ。 本田投手を擁する外大西が東海大相模に敗れました。 東西の実力校対決で注目度の高かった履正社vs横浜戦ともども いずれも神奈川県勢に凱歌があがったため、 今年は近畿勢が奮わないとのイメージを持っていましたが、何のことはない。 他に登場済みの3校(神港、智弁、北大津。残る1校はPL)は いずれも緒戦を突破しています。2校が敗退しただけで 負けが込んだと思わせる(そんなの私だけか!?)なんて、さすが近畿勢。
by tklo3
| 2006-03-26 23:58
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